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世代

2017年5月 7日 (日)

半年ぶりの親父の散髪と入浴

5月も中旬が近くなり、もう完全に冬物は撤去しても良い状態になった。こうした中、暖かくなってきたことや今週火曜に親父が3か月に一度の医者通いという事で半年ぶりに散髪し、入浴も半年ぶりとなった。冬期間は寒く、風呂に入ると湯冷めで風邪などを引く可能性があり、肺炎とかインフルエンザ・ノロなどの危険も大きいので母御は冬場は風呂に入れさせないこととしていたようだ。

すでにここをご覧の方々はご存知かと思うが、一昨年初夏から立って歩けない状態に陥って2年、それ以来入浴も月1回程度、トイレも行けず枕元のポータブルトイレで用を足し、軽度の失禁もあるのでリハビリパンツという、パンティー型の紙おむつも着用中だ。立って歩けないばかりでなく、目もほとんど見えない状態であり、物の明暗がわかる程度で物の形とか姿はほとんど明視不可能であり、耳の聞こえも非常に悪く補聴器を付けて何とか会話とかラジオの聴取が可能という状態である。

それゆえに、一人で風呂も入れず、私と姉御が介助してやっと浴槽に入っている状態であり、私は季節外れの海水パンツや、姉御と母御は季節外れのスクール水着を着用して介助に当たっている。

散髪も半年ぶりで、昨年秋に坊主頭にして以来約半年ぶりだ。もう伸び伸びになっており、このまま放置しておくと不衛生であり、かえって病気の誘発にもなりかねず、行ったのである。

本当はほかにも皮膚科とか、入れ歯使用なので歯科医にも通わせないとならず、また目もほとんど見えない状態なので眼科にも行かないとならないが、立って歩けないことで診察は困難であり、病院に備え付けの車いす使用で受診も可能だが、この場合高額な金を取られることで今の家の財政状態では不可能であり、これも2年以上やっておらず、市販の薬で対処中だ。

入浴時は大変であり、立って歩けない親父を持ち上げて浴槽に入れるのに私一人では到底不可であり、姉御や母御の助けも必要になる。男も50歳前後になると年と共にか弱くなっていくのですから(これも無様な軽自動車に乗り換えた理由であります)、私一人では難しい。こうであれば最悪の場合、昨年処理部門に異動後すぐ退職した職員がいたように、私も早期退職を考えないとならなくなっている。

こうした事情もあり、レジャー関連も思うようにできず、要介護者が家族にいる状態であればたとえ金や時間に腐るほどの余裕があっても宿泊を伴うレジャーなどは当然困難であり、せいぜい日帰りとか夜行バスでの往復ぐらいしか困難だ。退職者送別会など今年はオファーがなかったが、仮に写真担当のオファーがあってもこれは要介護者がいることを理由に強固に断ることとなるだろう。今年は2年ぶりにチューリップフェアにも出向いたものの、家がああいう状態なので早めに切り上げないとならない事態であり、今年から夏場の花火大会の閲覧はすべて取りやめとし、高岡七夕だけに絞る考えだ。オリンパスオンラインのポイントも1万6千円分あるが、これ以上新規交換レンズなどの追加が不可能かつ困難であり、これは捨てざるを得ないこととなろう。まもなく開かれる金沢市祭もパレード閲覧後、車なら即帰宅か、バスなどの場合であっても中心部で飯を食ってすぐ帰宅という事を必然的にせざるを得ないことからも踊り流しの観覧は今年から取り止めとする考えだ。

夏季休暇も事務所側に申し出て職員間の交代不可という事にしていただく考えであるが、私自身も視力や聴力の老化も進み、学生時代、体育が赤点ギリギリだったこともあり深視力がもうほとんど合わないことも明らかになり、今月第5週水曜に観音堂にて免許を自主返納し、一部取り消しの形で大型を普通免許にしてもらおうかと考えている。こうすれば更新の時に深視力はなくなるので、面倒さがなくなり楽ですし、もうこの歳でトラックやバスに乗る仕事など就けるはずもないですから。

2015年3月22日 (日)

視聴覚の老化現象、やはり思った通り・・・。

視聴覚の老化現象、40歳前後の年齢を過ぎると個人差はあるが、やはり現れてくるものである。老眼や難聴などがその具体的な例であるが、動体視力や立体視の低下もこれに伴い進行する場合も多い。

私の場合でもここ7、8年ぐらい前から、近視用に処方されたメガネをかけていると、概ね40センチ以内のものがにじんだり、チラついたりしはじめていた。そのため、テレビを見たり歩いたりする分には問題はないが、書類を読んだりケイタイなどの画面を見たりがつらくなり、デジカメの背面モニターも不自然に離さないと見えづらくなったりに悩まされた。しばらくは我慢しており、現行の近視用メガネの度数を落とすなどで対処していたが、メガネの掛け外しに厄介さを感じ、3年前から遠近両用に踏み切ったのだ。

しかし、明視できる視野が狭く、そのため遠方も近くも一つのメガネではっきり見ることはできても、横目などでは歪んだりぼやけたりという現象があったり、また焦点は合っても距離感や立体感などが判りにくかったり、近用部と遠用部の累進部分で特に距離感の違いが生じたりという問題も出てきている。そのため、階段や段差のある場所では踏み外しなどの危険もあるほか、駅前とか繁華街などの人通りの多い個所では歩行中、他の歩行者に接触したり衝突したりという事態も起きやすかったり、運転時には左右などの確認がしづらいなどの問題もある。そのため、大型免許保有であっても、運転時は普通免許で乗れる範囲に抑え、中型以上に乗る時は遠近でない、普通の近視用に掛け替えるなどしてください、と長い説明もあり、通常の近視用は残しておくことを薦められている。

確かに遠方視に限っては普通のメガネの方が視野も広く、距離感や立体感も判りやすいが、今では元の近視度数をかなり落とし、免許に支障のないギリギリまで遠方視は犠牲にしているが、それでも通常のメガネでは1.5~2メートル以上離れないと楽に見ることが出来なくなっており、遠近両用もこれで2回ほど度数変更はしており、加入度数は2.5まで上げている。しかしこれでも昨日、デジカメのモニターが見づらく、メガネを少し上に上げるか、ストラップギリギリまでカメラを離さないとはっきり見えないなど、その進行はかなり進んだ。

また耳の問題も気になりだした。新幹線ホームなどの雑踏の中では放送が聞き取りづらく感じたり、警音器などの突発的な大きい音がうるさく感じたりという事も気になりだしてきた。高い音についてはここ3年ぐらいから、レコードや映画などでボーカルやセリフ、特に女性の声で聞きづらさが出てきたり、ステレオ再生で左右の音の動きや方向の感知が多少あいまいになり、昔のレコードが少し音が悪くなったかのような感じに聞こえたり、若い時に聞いた感じとはなんとなく異なって感じたりする。

そこで、行きつけのメガネ屋にて聴力検査もやっていたので、調べてもらったら、やはり3000~5000HZあたりの領域で軽度の難聴が両耳とも見られた。まだ補聴器の段階ではないが、進行の度合いによってはここ5年ぐらいで補聴器が必要になってくる可能性もある、とのことだ。

そうであればやはり以前からしつこく語っていた、次回は普通車はやめて軽自動車、この判断は極めて正しいようだ。貧乏とか富豪とかの問題、親の余命の問題とかに関係なく、視聴覚に老化が進んだのであれば軽自動車への乗り換えは誰が何と言おうと絶対にそうしないとならないのである。

私が20歳前後の頃、初めての車に軽自動車、と言ったことがあるが、親父は別に反対しないが、お袋はかなり反対だったようだ、そんな無様な・・・などと言いながら。まあ、私が女の子ならお袋は軽自動車を反対しなかっただろうが、男の子であったこともあり、あまりにも貧弱で無様なのは近所の人にも体裁が悪いという事もあり芳しく思わなかったようだ、当時は。

しかし、もう50歳前後になればおしゃれ盛りの若い時代のような体裁などを問われない年齢であり、老化現象も出始めて視聴覚や反応などの機敏さが衰えていく中にあってはそうする方が安全で正しい、というのはそうだ。そりゃ、高齢であっても大きい車に乗ってるのはいるという話もよく聞くが、そういう輩はそれほど老化現象が出ていないか(老眼や難聴の出現、運動能力や敏捷さの低下、これには個人差も相当あるのは事実である)、あるいはもともと運動神経が機敏であり問題がないなどの理由があったり、長距離とか大所帯などといった理由で無理してでも乗っているとかの理由もあるのだろう。しかし、私の場合は異なるのだ。独身であり子供や配偶者もなく、また親も相当高齢であり歩くことにも支障がきたされていたりして、ここ数年以内に死ぬ可能性もほぼ確実である事もあり、また先述のような老化現象で距離感などの感覚もつかみにくく、今年新車を買っても10年はカンカンに乗るのだからこうした将来的な見通しも見込んで考えないとならないのである。さらに新幹線など、電車やバスの極力的な利用もここ数年強く国などが叫んでおり、自家用車の使用をできるだけ控えるべき時代になったこともそうだ。

昨日、市街地をかなり歩く機会もあり、軽自動車が中央商店街を通るのもよく見かけたが、やはり動力性能や風格・貫禄の面で普通車から見れば無様なのは否めないが、昔のそれは確かに無様だというイメージが強いものだったが、今の軽自動車は昔ほど無様なイメージはなくなってきたのも疑いようがない。案外、車外からの走行音も静かになった感じであり、排気量の上限も360CCから660CCに引き上げられたことで、普通に使う分には十分な性能になってきたのは疑いようがない。但し、高速とか長距離にはやはりターボの選択が推奨されるのは間違いないが、実用本位であればターボなしでも十分である。

今時のシニア層は今の若者とそれほど遜色ない環境に育った世代が中高年に達した面もあり、趣向的や心理的な面では若者との差が少なくなったとはいえ、老化現象には勝てず、またそれは二度と戻らないものである。だからこそ、貧乏か富裕かにもかかわらず、それに見合った選択というものは大切なものなのだ。

2015年1月 3日 (土)

新年雑感

早いもので今年も3日目に突入。謹んで新春のお慶びを申し上げますとともに、本年もご愛顧のほどお願いいたします。

昔は正月3が日は慎ましく過ごすもの、という概念が非常に強かった。しかし、こういう概念は今の現役社会人世代には全く通用しないものとなってきた。

昨日など、市内中心部などの様子を伺いに、車は乗らず電車・路線バスでということになったが、正月中であり、銀行業界ではATMのシステム改変に伴う正月3が日間の休止という事態にもかかわらず、元旦や2日初売りの繁華街や郊外の商業施設などは異常なほどの引っ張り凧なのである。私が社会人になって年月も浅い30年ほど前であればこういう事態はほとんどなかったのですが、何だか不思議なんですね。

私の親御の世代であれば昔気質の気質が多く、私の親御二人もどちらかというとそういう柄ではある。しかし私共の目線では今時のものはほとんどこういうものであろう、と思う事も少なくはない。やはり、育ってきた時代がそうさせているのかも知れない。

考えてみれば私の親御などは戦前の生まれであるゆえに、物の価値観とか考え方、今の時勢であっても昔気質の貞操的・保守的なものを一生捨てられないであろう、という事は私も人生経験が長いので判らない事もない。しかし私共はかなり近代化された中に幼少期から育ってきており、今の若者の文化に対しても社会通念上は年寄りと呼ばれるような歳になったにもかかわらず、それほど抵抗は感じない。

私の部署の痴漢(性的虞犯者の意味のそれではなく、愚か者という意味でのものです)共は、今や40、50など若者だと発言する非常に知能の低い職員も存在する。まあ、それも一理ないとは言えないが、ただ、今の若者の特性や文化の影響を受けて育ってきた世代が、時の流れとともに中高年に達してきただけの事であり、私から言わせれば私が幼少・青春の時代から比べると親子間・世代間での価値観の食い違いがかなり少なくなってきたとはいえ、やはり年寄りは年寄りだ、というのが正論であり、知能の高い輩ならばそう考えるのが当然だ。その証拠ではないが、老眼や難聴が出始めたり、体力的・持久力的にも衰えが自覚されたり、あるいは成人病が多発したり、足腰などの痛みなども自覚されるようになったり、歯茎が退化して歯の隙間なども多くなって来たりというのも40歳以上になれば目立ってくるものなのだ。

あと今年は、下半期初めには10年半ぶりの新車の予定がある。次回は以前からもうるさく述べ続けてきた理由から軽自動車にすることを固く決めてはいるが、多くの輩は軽自動車は高い、普通車と値段が変わらないなどと言っているが、実際にはそうではない。昔から見れば普通車とのそれの差はかなり縮まっているのは疑いようがないが、各社とも同カテゴリ相当のものを見渡してみると、同グレード相当であれば普通車コンパクトカークラスの約9割ぐらいの値段が付けられていることも疑いようがないが、それでも普通車の価格を上回ってはいないというのが事実だ。装備的にもバックモニターは普通車ではオプションというものも少なくないが、軽自動車に関しては、一般オーナードライバー向けの標準型グレード以上はバックモニターが標準化されているものが多く目立つというのも事実だが、これは軽自動車のコアターゲットが婦人や中高年(特に高齢者)という、運転に関して腕に覚えのない人々が大半である事を配慮してこのようになったものと考えられ、これはコアターゲットの状態からも正しい方向性であるものだ。

家屋に関しても私どものような小住宅は貧乏なところだとか、軽自動車は無様な車だとかいうのは私もそう思わない事もないが、これは富裕層であるかそうでないかに関係なく、人それぞれのベスト スタイルというものがあるものなのだ。大邸宅でも住んでいそうな富裕層が家族規模その他の事情から小住宅に住んでいるとか、高級車でも乗ればいいものをと思うような上流の富裕層が運動神経が悪く普通車の感覚が判らない、あるいは高齢で老化現象が目立ってきたとかいう理由で軽自動車にあえて乗るという者もいるわけであり、こういうのは人それぞれの事情と理由があってのものであり、人がどう言おうがどう噂しようが、我が道を行くを頑なに貫けばそれでいいものなのだ。

これも私の部署の痴漢どもは軽自動車にせず普通車を薦めようとする「低能児」も存在するが、これも私がどうしてもそうせざるを得ない理由たるものがあるのである。視力や聴力、敏捷性など運動能力の低下で普通車が扱いづらくなってきたこともそうであるが、親の寿命も非常に心配というのも疑いようがなく、親二人とも亡き後は今以上に生活が格段に苦しくなる事も金銭面、余暇面からも目に見えている。それに長距離とか、主要駅やバスターミナルから近い観光施設や商業施設・レジャー施設などであれば極力新幹線や高速バスその他の手段を選択するのですし、行政もそれを今の時代、強く推奨しているというのだ。たとえ普通車と同額とかやや高価だったとしても、買った後の維持費は1000~1500ccクラスの普通車の半分強ぐらいに収まるのですし、税金や保険の面であっても今春から税金が1.5倍に上がるとはいえ、普通車よりは安いのだから、維持は今以上に楽になるのである。そういうのであればこれは非常に賢明な選択ではないのだろうか、そう思う。

私もこのような状況であっても、妻子有でしかも、まだ学校に籍を置く子供でもいるとかいうのであれば軽自動車にはせず、生活が少々苦しくなっても普通車という事も考えるが、私のこの歳からも今後そういう状況になる事はほとんどないといってもよく、私と出戻りの姉御だけというのであればメインの車は普通車である必要がない、というのも現状だ。

ちなみに生命保険も見直しの時期と同時に商品変更を行ったが、これも親の死後は死亡保険金の保障は消すか、最低限度のものに組み替える考えだ。今は親が二人ともいるのでそれは削るわけにはいかないが、親の死後はそれは全く省いて医療重視にしても構わないか、そう思う。やはり人それぞれの現状に合わせてフレキシブルに組み換えできるものは有利ですから。

今週末は今の車、最後の12ヶ月点検が待っている。これにて普通車は最後という事になる。今年前半、最後の普通車を1日1日かみしめながら乗る事になろうかと思い、チューリップフェアやあじさい祭り・花しょうぶ祭りの頃にはもう本当に生涯最後の普通車で、という事になろうかと思う。それを見込み、夏用タイヤは売却も済ませたのですし、夏用タイヤを履いての走行は次期軽自動車になってから、という事になろう。これも7月から9月の夏休み期間の初日の休暇日にハンコを押す事を考えていたが、親二人とも結構危険な状態になったこと、特に親父などは最近よくふらついて倒れるようになったことで近年中にも危なく感じたことなどから、6月半ばに時期を早めてそれを行おうという考えを固く決断したのである。

とにかく色々な面で分岐点というか、節目となりそうなこの1年である。縁起の悪い事は極力怒らないように養生したく感じるのですが・・・・。

2014年4月21日 (月)

若者・子供向けのコンテンツに大人が熱中、その背景には・・・。

21世紀に突入して早くも14年が経過した。平成生まれも今や成人に達した者もおり、ニューファミリーとして子供を持つものも少なくなくなっている。

今年2月、「中高年も青春の延長のように・・・http://uin26079.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-4404.html 」の記事にもあるように、近年の中高年世代、若者との差もあまりなく、親子での価値観などの差も私どもの幼少・青春時代から見れば少なくなってきている。

たとえば、あるWEBで見たことであるが、本来、子供のゲームに大人が熱中するケースが案外と多いということ。DSなどでもそうであるが、新発売のゲームで行列待ちには、子供だけでなく大人も多数店舗前に並んでおり、抽選で外れて悔しい表情を丸出しにするという大人もいたほどだという。

また、データカードダスなどのアーケードゲーム、小学生や幼稚園児を対象としながらも、中学生や高校生、そして大人のプレーヤーも案外と多数いるほどであり、ファミリーでは親子で熱中するケースも見られるほどだという。しかしながら大人が長時間ゲーム機を占領したりなどのマナーの悪さも目立っている。まだ高校生とか大学生ならばいざ知らず、社会人でしかも結構な歳の者でそういうのが多いという事だ。

実際、現役の社会人世代のほとんどは、幼少・青春の時代にコンピューターゲームなどをやっており、また今の若者の文化の草分けである、新人類と呼ばれた世代も今やシニア層の入り口に来ているらしい。こうした世代は本来、若者向けや子供向けであるゲームやコンテンツに対してそれほど違和感もなくなってきているのも事実であり、概ね昭和30年代半ば以降に生まれた世代の多くが多かれ少なかれこのような状態であるのは疑いようがない。こうした背景が本来、子供向けのゲームに熱中するケースが少なくなくない事態を生み出しているのかも知れない。私の親御の世代であればさすがにこういうのは理解しかねるが、私どもの目線では別にそういうのも当たり前のように感じることも少なくない。

私としては、大人が本来、若者や子供向けのゲームに打ち込むなとは言わない。しかし、節度を守り、子供の多い時間帯であればそれに譲る、あるいは比較的夜遅くまでやっているゲームコーナーであれば18:00以降にやるようにする、などの配慮も必要だ。店舗によっては、大人の方(概ね18歳以上)だけであれば極力夜6時以降に来場するように呼びかけているところもあるほどだ。

まあ、未成年者が18歳未満禁止の店舗に立ち入ったり、成人向け映画などを見たりというのは容赦されるべきことではないが、子供向けのゲームを大人がやることは別に悪くはない。車でいうならば旅客を扱ったり、トラックやバスを運転する職業ではない普通の会社員や公務員などが大型免許や2種免許を持っているケースは少なくないが、これも別に持っていて悪いものではないのと同然といえばそうだ。しかし、やはり社会人としての守るべきことは守り、本来のターゲットである子供たちに迷惑をかけるようなことは厳に慎むこと、これは当然の義務であろう。

2014年2月25日 (火)

中高年も青春時代の延長のような傾向に・・・。

21世紀が始まって早いもので足かけ14年が経過しようとしている。私も社会通念上はもう年配者の部類であり、社会人の中でも定年に近い部類に入るといえばそうである。高校卒業から今年で丸31年が過ぎるゆえ、当然のことである。

私が高校生とか社会人になって10年前後の間、私どもの世代と当時の40歳後半とか50歳代以上の世代とはファッション、趣向、価値観などの点で大きな食い違いがあり、やはり世代のギャップを感じたものである。しかしながら、私どもが当時の年配者と同じ年ごろに突入した現在、昔と比べてかつての中高年らしい感じというのはなくなってきたというか、薄れてきた感もある。

私どもの部署を見渡してみても、20代・30代といった若者世代と、我々年配世代との間で、服飾・ポピュラー音楽・映画やアニメなどの趣向とか、実用性よりもトレンド重視で雑貨類などを選ぶとかいった価値観の差は昔ほどなくなってきた、そう感じるのが正直なところであり、若者言葉の出現も日常会話の中でもかなりみられるのが現状だ。このあたり、やはり現代っ子のエッセンスを文化的・環境的に受けて育った世代が年配者になってきたこともその背景にあるといえよう。

そういえば、婦人向けの化粧品で、新・50代向けの商品のCMもよく見かける。やはり年相応の老けは見えるものの、現代っ子のエッセンスを受けて育ったような感性も現れており、こうしたのも今の若者の感性を幾分盛り込んでいる特徴も見られるのは疑いようがない。

とはいえ、社会的にも長老であり、人生で最も責任の重い世代にとって、こういうのは果たして認められていいものなのか、と疑いたくなる面も少なくない。やはりある程度の落ち着きとか、ファッション性や流行よりは実用面を優先する、という物選びも必要ではないのだろうか。

そういえば私が幼少のころ、70代80代の老人はほとんど袴のような和装で歩くのが多かったように思う。しかし近年の老人ではそういうのもあまり見かけず、シニア向けのデザインではあるが、洋装で歩くのがほとんどのようであり、これも時代の流れなのか、と思ってしまう面も少なくない。

私の親の世代であればどちらかというと端正・堅実主義という考えが多く(これがイマドキの者に言わせれば古風だ、と口を揃えるかと思うのだが)物選びはトレンドよりも実用性、という主義が多かったが、今の現役世代の多くは年を重ねるとともに実用志向に動いている面もあるが、どちらかというと今の若者の持つ価値観や物選びを捨てられない、というのが多いように見かけられるのが疑いようのないところだ。

実を言うと今風の考えや価値観を持つ世代と昔気質の古風な考えを持つ世代、概ね昭和30年代半ば辺りの生まれである世代が、概ねこの境目といえる。私の親御の時代の文化というと演歌歌謡曲とか時代劇などが主力であったが、私どもが育った世代ではJ-POPやアニメ・トレンディードラマなどの現代劇などのほか、コンピューターゲームなども幼少・青春の時代に大きく盛んだった。今の若者文化が盛んになったのもこの時代であり、やはりこうした時代に育った者が年配者になってきたことで、若者との考え方や価値観の差が縮まってきたのであろう。

今では核家族の形態も変わってきている。私の親の時代は亭主は仕事で妻は家庭専業、というのが主流だったが、私の部署の既婚者を見ていても大半が共働きというのが多くなっているのも事実である。やはり1人1台クルマを持ち、ケータイなども1人に1台とかなると、亭主だけでの収入ではやっていけない、といった背景もあるのであろう。私の親父など、私に幼少のころ「男は勉強と仕事さえしていればそれでいい」などと言い、頭から仕込んでいたのも事実である。しかし、昔はそれでよかったかも知れないが、今の時勢ではこの考え方も通用しないというのは疑いようがない。今や家事なども共同して、双方の仕事などの事情も配慮して適宜分け合っているというのが多く、共働きであればなおさらそうなるものである。

時代も変われば昔気質の考えを通すのも一つの筋道として間違ってはいないかも知れないが、今の現役であれば今の時代の流れもある程度取り入れていくことも必要ではないのか、そう思う面も少なくない。

果たして私どもが定年して老人になる頃には、若者の服飾をまとった老人も増えているのでは、なんていう未来像も浮かんでくる。