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日記・コラム・つぶやき

2018年5月13日 (日)

納骨終了と今後の方針

昨日、内灘霊園の合葬墓ビルヂングにて朝早くから納骨を済ませてきた。あそこ、権現森公園の一部のような形になっており、構内は町道扱いで一方通行だ。合葬墓ビルヂングは1階建て、建坪概ね30坪程度で、約1000体分の遺骨の埋蔵が可能だ。我が家では全員、生前予約済みであるが、親父が第一号で入ることとなった。
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Dsc_0022ビルヂングは能登側に5人分の参列スペースがあり、ここにて線香や花をあげて行う形となっている。金沢側は鉄鋼製の扉があり、奥には納骨室、そのさらに奥は地下に埋蔵スペースを設けてある。私共の場合はすべて直接、埋蔵室という事になっているが、納骨で申し込んだ場合、10年間骨壺のままの状態で納骨室に保管し、10年経過後埋蔵室に他者のお骨と混合して骨壺から出して埋蔵する形となるが、直接埋蔵を申し込んだ場合、納骨時に骨壺から出してすぐに埋蔵スペースに他者の遺骨と混合して埋蔵されるという事となり、今後改葬は一切不可能である。

しかし、今後の少子高齢化などを考えた場合、将来的にはこうしたほうが好ましいという考えが浸透しているのも疑いようのない事実である。また、昨今の若者はたとえ子供が出来ようと、墓の維持などの負担を考えたらこうしたほうが好ましいと考える輩も多くなってきているようであり、今後こうした合葬墓ビルヂングは各自治体をはじめ、民間の墓地でも増加傾向にあるのは疑いようがない。

少子高齢化の影響は墓の問題ばかりか、都市の衰退や地盤沈下にも影響が出始めている。すでに近辺でも個人商店の閉店や、労働力不足による中小企業の清算なども徐々に増えており、また最近、通勤時の渋滞もやや少なくなった感もあり、自家用車の台数も2015年ごろから徐々に減少しているという話も聞くが、その影響も少し見えてきているようだ。若者の車離れや免許保有の高齢者も平均寿命が近づいており、死亡もしくは運転免許の申請取り消し(自主返納)が増えてきたためと思われる。

今後、祭壇の撤去・親父の遺品の整理・親父が寝ていた奥の間の模様替えなどが残っており、今後もしばらく紆余曲折は続くものと考えられるが、ゲーセンとか観光などのレジャー目的の行動はこれでようやく解禁、車のipodも一時外していたが、昨日から復活している。夏休み期間には部屋の電燈の全面LED化を考えているが、吊り下げ式よりも直付け式のほうが部屋が広く感じるので好ましいのではないか、そう思う。

2018年5月 6日 (日)

四十九日法要と週末には納骨式

本日、午後から自宅にて四十九日の法要をお坊さんだけ呼んで、家族葬ゆえに内輪だけで行った。午後2時から1時間弱で終わったが、本来なら今週木曜日が本来の四十九日であるが、昨今ではそれが平日であれば共働き夫婦が8割以上という時世では本来の日というわけにはいかない。そこで本来の日に近く、かつ早い週末に行うのが一般になってきている。

納骨は今週末、朝8時50分までに白帆台の権現森公園構内にある内灘霊園の合葬墓ビル前に遺骨を持参して集合しないとならない。直に埋蔵室に入れる段取りなので、もう他人の遺骨と混同して埋蔵するという事で遺骨の改葬や返却はできないこととなっているが、将来のことを考えれば墓を建てるよりはその方が好ましいからだ。

これにてようやく平常のペースが戻ることとなるが、やはり忌中という事で通勤・通学とか日常生活物資の買い物とかであれば仕方ないが、レジャー目的の遠出や外出は厳に控えないとならないのは当然のことであろう。それゆえに今年は花見も行わず、昨日終了したチューリップフェアも当然出向けず、アーケードゲームなどのアミューズメント施設の出入りとかも当然やってはいけないことであり、職場や学校などの懇親会なども強固に断らないとならない。四十九日が過ぎて納骨を過ぎるまではこうしたことは厳に控えるべきであるのは当然のことだ。

こうした中、自室の新型ビエラは結構、活躍しているが、自宅の居間にあるアクオスと比べるとかなり硬派な映り方だ。共に標準の設定なのだが、アクオスは肌色がきれいでソフトな調子なのに対し、ビエラのほうは青系統がかなり鮮明だが赤系統は多少くすみがちであり、それでいて明暗の出方が硬い感じで、かなりハードな調子である。どちらかというとアニメ・ゲーム向きといった感じが強いが、メリハリがかなり効いているので見かけ上の解像感はかなり高い。

あと、LEDが直下式ではなく、エッジ式であることから、シーンによっては周辺部での照度のばらつきや色むらも多少感じる。直下式であれば原理的にそれが発生しないようであるが、松下製やソニー製はエッジ式の使用率が高く、直下式は上位機種の55V以上に限られているようだ。シャープや東芝はエントリーモデルでも直下式を用いているようだが、上級機に比べると簡素化されているため、四隅にてケラレのような現象も起きやすい。エッジ式は四隅のケラレが少ないが、画面の両端部でシーンによっては照度むらや色むら・干渉によるモアレ状のものが目立つ、これは構造上の欠点でもある。しかし薄型化が容易であり画面の周囲あるいは両端に光源を置くことから効率が良い、放熱対策が行いやすいなどの利点もあり、一般にエントリー機などの普及型テレビにはエッジ式が多く用いられているばかりか、PCモニターやデジタルサイネージ・業務用のモニターなどはほとんどがエッジ式であるのも、放熱に有利であることから長時間の運用に適している面もあるからであろう。

とにかく今週末からようやく普通の生活に戻れると思うと、四十九日というのは長く感じる。しかし年末には年賀状は受け取れず、喪中はがきを段取りしないといけなくなるなど、やはり1年間は完全に平常というわけにはいかないものだ。

2018年4月29日 (日)

間もなく終わる四十九日と車検予約、新ビエラ

親父の月命日も過ぎ、間もなく四十九日も終わろうとしている。四十九日の法要は来週日曜午後から自宅にて、納骨は来週土曜朝早くからという段取りは決まった。それ以降、レジャー等の自粛もようやく解けるわけだが、やはり生活費をすべて私が負担するとなると今までのようにはいかず、交換レンズなどの拡充も不可能である。

こうした中、自室のテレビの老朽化を理由に、3月に予定していた新型ビエラに先週、置き換えを行った。32Vのエントリー機ではあるが、4月末にモデルチェンジ寸前とのことで展示品限りのを買い取った形だ。
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新型はエッジ式LEDによる32V、IPS液晶搭載だ。法律でHDMI以外の入出力が禁止されて以降の機種なので、HDMIしか入出力端子はなく、USBポートが取り付けられている。ARC対応なので光音響出力はなく、ARC対応のアンプであればHDMI一本で外部オーディオでの音声は出せる。

以前、光出力の場合は報道番組などのように、音響を重視しない番組の場合でもAVアンプから勝手に出力されたり、それを切るとテレビ側での操作が必要だったが、今回のはAVアンプを切ると自動的にテレビから音は出され、必要であればそこから切り替えも可能であり利便性も高い。テレビでAVアンプなどから良質の音響効果を要求される場合というのは、スポーツ・映画・音楽・アニメなどというジャンルに限られることからも、テレビ本体からの音声との切り替えが楽なのは有難い。

あと、車検の段取りも行った。来週は法要とか納骨があるために三菱に来店が出来ない、と伝えておいたら6月5日の夕方に神宮寺に預け、6月7日の夕方に仕上がる予定ということになった。その折に、今年の雪害で後方バンパーの止めネジの補修も行うようにした。例年ない大雪のため車両の破損もかなり多発したほどゆえに、今なお朝晩はストーブが必要なぐらい寒い日が続いてはいる。しかし下着類の夏物はそろそろ出し、冬物は撤去しようかと思う。ストーブの撤去と冬服のクリーニングは納骨が終わってからにしようかと思う。

2018年4月18日 (水)

親父の口座ロック解除、丸1日潰れ

本日、相続に係る重大事項という事で、有給取得など本当は難しいところであるものの、やむなく取得し、相続に係る親父の口座のロック解除とその削除手続きを行った。

朝1に銀行に行くも、親父の出生からそれ以前にさかのぼる戸籍謄本が必要と言い渡され、内灘町役場に行ったものの取り扱いできず、金沢市庁に行くよう指示され、駅前の駐車場に車を預け、路線バスで金沢市庁に向かい、それを受け取ったはいいが、それ以前のものは松任市に行ってくれ、との指示があり、路線バスで金沢駅に向かい、そこで昼飯の後、松任の白山市庁に向かった。そこで金沢市庁から頂いた昔の戸籍謄本を提出し、事情を話したところ、同じように受領できたが、これ以上過去のデータはなく、北海道の生まれであってもそこには戸籍はないとみられる、との話があり、おそらくこれで銀行に相談してみればよい、との指示があり、万一通らないようであれば、銀行の窓口からでもいいので電話で相談してください、と再度指示があった。

午後1時半ごろ、再び銀行に行き、こうした事でという事でその書類を提出したら受理されたが、手続き完了まで1時間半かかり、親父の口座全ての削除と、母御には半分、私と姉御にはその残り半分を振り込み手続きし、午後3時10分ごろ手続き完了の確認を行ったが、営業時間を過ぎているので裏口からお帰りください、との指示があった。

手続き自体はやはり係員が指示してくれるので、それに従い書類を書くだけなので小学校卒業程度の知能さえあれば誰でも出来ることであるのは疑いようがないが、提出する証明書類の取得が多少面倒である。私の場合、まだ高額な生命保険に入っておらず、また遺言などが絡んでいないことから、まだ円滑に行った方であるが、これが相続人同士の思惑が絡んだり、遺言などがあったり、高額な生命保険に入っていたりなどあると法律事務所などに行かないとならなくなるなど、かなりこじれることとなろう。

私なども今回の手続きなどを通じて、半世紀も学生生活を送っていたことを強く実感している。本来ならば高校卒業と同時にそうしたスキルは身についていないといけないものであり、社会通念上もそれが当然だ。しかし私は長年独身であり、親父が長年世帯主であったことなどからも、私は単に独立した生計があるだけで生活そのものは高校生と全く同じであったことを強く思い知らされ、ようやく真の高校卒業なのだ、と実感してしまう。本来なら社会人卒業も間近なのに、同世代に大きく遅れを取っていたことを強く感じる。

ある意味、現業の外仕事のほうがよほど楽だと感じたのが正直なところだ。事務系の仕事についていればこういう事もお茶の子さいさいだった、そう感じる。今だ未婚ではあるものの、親父が亡くなったことで立場も大きく変わり、多少余暇も不自由になるが、致し方ないであろう。まあ、軽自動車にしたことですし、それにより行動範囲が狭くなってなおよかった、そう思う。乗れば乗ったになるし、乗らないからといって損もしないのも軽自動車ならではですから。とにかく優先されるべきことのほかに余力があればレジャーなどを、その意味が今になってようやく判ってきた。学生時代、勉強優先、というのも今になってよくわかってきた、そんな次第だ。

2018年4月 8日 (日)

人生、終わりまで「勉強」

親父の逝去から早くも2週間が経った。世帯主の座を親父から引き継ぎ、電気・ガス・水道・新聞・固定電話・固定資産税・NHK受信料などはすべて私が担うよう、忌引き中にその手続きを終わらせたが、親父の年金の停止と遺族年金の手続きが残っており、これは戸籍謄本や住民票の除票が、電子計算機システムの都合上、死亡届から1週間ほどかかり、先週半ばにようやくその処理が終わり、委任状をはじめ必要書類がそろったことで先週末、やむなく有給取得を行い、昼から浅野川電車で社会保険事務所に向かった。去る6日の午後3時に予約を入れておいたが、電車を降りて徒歩概ね15分ほど、予約時間まで40分ほど社会保険事務所のロビーで待ち、3時20分ごろ呼び出しがかかり、その手続きと相談に約1時間強を要した。その後、金沢駅で夕飯を食って、宇ノ気行きの路線バスで帰路につく。

親父は厚生年金のほかに市役所の共済からの年金もあり、厚生年金のうち、老齢年金は遺族年金への切り替えがなくこれで最後となり、基礎年金だけがその対象となる。また共済年金に関しても役所の共済のほうに社会保険事務所から連絡がいくという事で、戸籍謄本や住民票・母御の通帳のコピーなども2通取らされていた。はっきりとした月当たりの支給額は判らないが、親父が貰っていた額の概ね3分の2ほどであろう、との説明があった。

さらに、親父の口座がロックされたことで、今週13日が年金支給日であるが、これは払えないことで社会保険事務所に返金されることになるが、その前に手続きを済ませているので、その虞はないものの、3月23日死去までの合算分は3か月遅れで母御の口座に振り込まれる見込みであるとの説明があり、役所の共済からも書類等が届き、それによりその手続きがすべて完了することになる。

さらに新聞代が口座ロックで回収できず、私の口座から2か月分纏めて卸されることとなり、また電気代も同様の対応で、請求書が来たことでコンビニに支払いも行った。さらに固定電話についても継承という事で、戸籍謄本のコピー・死亡診断書・除票・免許証の写しを添付し、所定の手続き用紙を同封して郵送で手続きを行った。

公的な手続き、書類関係は必要事項を記載し、窓口の係員の指示に従って記載するだけなので、小学校卒業程度の知能があれば誰でも出来ることであるのは疑いようがないが、その書類関係の取得が面倒な場合も多いものであり、ここはいろいろと勉強しないとならないことだらけであり、ある意味配偶者のいる世帯主以上に大変であることも実感している。

さらに松任の宮永町、アサヒ装設と同じ所番地にある墓の整理の問題も残っている。ここは民営墓地のため、その連絡先等の表示もない為、それが出来ず母御は困っているようである。ちなみに、私のいとこが持っている墓が内灘の向粟崎にあるが、そこの墓地に確認に行ったところ、墓地内の地図の下に石材業者向けの連絡先があったが、これは向粟崎公民館のものであることが判明したが、松任の宮永にその確認に行ったところ、墓地内の地図は新しいものになってはいたが、連絡先がどこにも表示してないのである。おそらく、小規模な民営墓地の場合、石材店もしくは冠婚葬祭業者を経由して墓の整理などを行っているものと思われるが、そのために連絡先や管理人の名義を出さず、地図だけ表示しているという事なのかも知れない。

さらに葬儀社から四十九日法要の会席の案内が来ていたが、私の場合は家族葬であり、完全な内輪だけでの式であったため、僧侶だけ呼びその法要を行い、会席などの利用は一切しない方向でいるが、それでも腑に落ちないのであれば、私の部署の業務が15時ごろにすべて上がり次第時間引きを行い、広岡の葬儀社にで向かって聞いてみようかと思う。おそらく、葬儀スタッフは四十九日が終わったら自宅の祭壇を撤去する考えでいるので、その段取りに関しても考えているかと思うのですが・・・・。

香典を断ったにもかかわらず、近所からも数件、姉御の会社からも1件出ているが、私の方は事務所にもその旨を伝えたことで一切受け取ってはいない。新聞にも出さなかったという事は香典などは一切受け付けない方向というものと考えるべきであるが、一般には香典は必ず必要とか、新聞には載るものであるとかいう概念が非常に根強いことも事実であり、誤った情報が満ち溢れていることも疑いようがない。口座のロックに関しても、一般には銀行や信用金庫などにそれは永遠に没収され銀行のものにされてしまう、などと解釈されているのも現実のようであり、そのために高額な生命保険に入っているのでは、という考えもあり得るのは事実である。しかし実際には保護措置であり、所定の書類を提出すれば基本的には解除可能であり、私の場合は遺言等もなく、生命保険にも一切入っていないことも判っているので、法律事務所などへの出頭はないと思われる。それが遺言が絡んだり、相続人が多くその思惑が絡んでいたり、多額な生命保険金があったりするとこじれたり厄介なこととなり、法律事務所への手続きも必要になるであろう。

2018年3月29日 (木)

忌引きも今日限り、しかし課題も・・・。

先週23日からの忌引き、今日が最終日だ。水道・ガス・NHK受信料・電力・火災保険・新聞など生活に必要なものすべては私の名義に変更し、当然、すべて私が担う事となった。世帯主の座を引き継いだのだから、当然といえよう。

しかし、親父の年金の停止と母御への遺族年金への切り替え手続き、その概要は判ったが、戸籍謄本および世帯内の住民票などが必要であり、死亡届の通知後、その反映処理にシステムの都合上、1週間前後はかかるという事で、その手続き完了待ちである。必要な書類が出揃わないと、それが出来ないですから。

さらにもう一つ問題も生じた。やはり親父の口座がすべて凍結されたという事だ。母御はこうなると永遠に没収されると考えており、新米世帯主としても重く責任を感じる。そのあたりの相談も行っており、結局忌引き1週間ではすべての解決が難しいことがわかった。そこで、こうした手続き関係の勉強も必要となり、関連のサイトなどで調べてみるなどで丸丸つぶれ、余暇などほとんどないに等しく、仕事以上に苦痛なものであることを強く実感した次第だ。ある意味、配偶者がいる世帯主以上に大変であることも強く痛感している。

その口座凍結の話だが、信金にて相談が必要という事で、本来関係者以外立ち入り禁止となっている別室に呼び出され、その場合の手続きの案内と指示を受けていたのである。まず、戸籍謄本、除籍の証明書類、相続者全員の印鑑証明、別途書類にその著名と印鑑証明で使われている実印の捺印、親父の通帳や証書、キャッシュカードなどが必要となり、これによって凍結を解除し、相続者に預金を移管された後、親父の口座を削除する、という事であった。したがって、口座凍結は永遠に金融機関側が施錠して事実上没収という事はなく(そうであれば当該金融機関は横領罪となります)、すでに口座の持ち主がいないという事で現在持ち主がいないことや、その相続すべき遺族への継承に係る重要な物件という観点から、第3者による悪用を強固に防止するために法的にも措置が義務付けられているものである、との事であったことを私は確認している。また、これは期限がなく、正当な相続者がいることが先述の書類において確認されれば解除可能という事であり、いつまでという期限はない。

また、わが家の場合は相続でもめるようなことはなく、また生命保険にも一切入っていないことも確認できたことで、他にも法律事務所・裁判所などによる手続きやそれから出される書類は必要ないようであるが、遺言等があったり、遺産相続の件で法的な処理が必要であったり、高額な生命保険金が絡んだりした場合、そうした関連の書類も必要になってくる場合があるが、わが家の場合まだこれでもいい方である。

そこで問題である。私と母御は印鑑証明の登録を済ませているのだが、姉御のそれがはっきりしていないとの事であった。そこで私が住民課に行ってその確認を申し出たところ、同じ居所であり、血縁関係があっても、世帯が別扱いで登録されているという事となると、私はそれが出来ないのである。私の世帯は私と母御だけであり、親父がすでに亡いので、私が世帯主の座を引き継いだので母御の場合でしかその確認が出来ないのである。こうなると姉御自身でその確認をし、登録をしてこないとならない。私が代理ですることも可能だが、その場合、委任状などが必要となり、私も数回住民課に顔を出す必要があり、処理が数日かかり、姉御のほうに電話あるいは手紙による意思確認も必要という事になる。あと、登録する印鑑も現品を持参のうえ、住民課で確認をしたところ、他に登録されていないのであれば支障はないとの確認も行ってきている。

そこで、印鑑証明を要しない年金の手続きから私は行う事となるが、これは書類の準備が整い次第、速やかに社会保険事務所に行ってこないとならないこととなり、無理してでも有給取得しないとならなくなる。さらに口座の件については姉御の印鑑登録の問題もあり、これは今月中にも難しいかと思われるので、しばらく間をおいてからになろうかと思う。

とにかく、四十九日が過ぎるまでは、ゲームとかレコードなどのプレイは控え、当然ゲームセンターはもちろんの事、自宅のゲーム機やスマホでのゲームも厳粛しないとならないし、ラジオかテレビ・ネットどまりで抑えようかと思う。レコードをどうしても掛けたいというならば、アイドル系とかの華美なものは避け、クラッシック系またはそれに近いようなものを静かに流すなどしないとならず、当然会合などがあっても断らないとならない。当然、車のipodも四十九日が終わるまで取り外し車でもラジオのみとし、今日金沢でサクラ開花の発表があったが、そのためのレジャー目的の行動も厳に控え、チューリップフェアも開催されるが、これも今年は無条件で厳禁としないとならなくなっており、レジャー等は光熱・衣食住などの経費を優先する必要があり、その余力がないと困難であり、当然、遠方へのレジャー目的の旅行などはもう生涯不可能と言っても当然だ。

とうとう来るべき時が来たという事で、私がこれまでいかに学生のような過ごし方をしていたかが強く思い知らされた次第だ。やはり生きていくために必要なことを優先し、レジャー関係は後回しとして、場合によってはそれを断念しないとならないであろう。

2018年3月27日 (火)

家族葬を終わえ、各種手続き

先週23日未明、親父は他界されましたが、24日に家族葬にて通夜、25日葬儀を行い、それが済んで現在、各相続手続きに追われている。まず、一番大切なのは母御への遺族年金であるが、この手続きに必要な書類が来週半ばでないとそろわず、あと2日間しかない忌引きの間には間に合わない。そこで、来週にも無理を言って有給取得を行わないとならない。

母御が手続きしてもいいが、今や遠方へは出て歩けず、手押し車や杖をついてやっと歩いている状況なので無理であり、委任状が必要となっている。

そうであれば先に公共料金の相続や健康保険・介護保険の解除手続きや水道・ガス・電気・火災保険などの口座変更や名義変更のほか、世帯主の住民移動の申請も行った。昨日は役場にて必要かつ可能な手続きを全て済ませ、水道料金と使用者を私の名義に変更し、世帯主の座も私が担う事となった。本日はガス・電気・NHK受信料などの名義と口座変更を行ってきた。しかし金沢市の繁華街に所在するので、車では行かず、浅電で行くこととなり、北電まで花里行きのバスにて本多町下車、すぐ目前にあった。そこで電気の名義変更や口座変更・相続を行い、ついで大手町のNHKに周遊バスで橋場町下車、そこからNHKまで歩き、放送会館にてNHK受信料の名義と口座の変更を行った。そこでもう10時半ほどになり、11時ごろ名鉄丸越の地下の庶民的な中華屋で昼飯を食い、12時15分、能登急行のバスにて帰宅、そのついでに伊丹産業に寄り、ガスの使用者と口座名義変更とその手続きを行った。これで生きていくために絶対必要とされる光熱関係すべて私の名義と口座になったが、あと固定電話と、問題の年金の手続きが残っている。親父の口座も凍結削除される前にすべて引き下ろし、削除させていただかないとならない。とにかく、あと2日間で残る手続きを可能なものは全て片付けたい方針であり、新米世帯主としての務めでもあるからだ。

初七日の法要は告別式終了後、自宅にて行ったが、一昨日、11月に入院以来約5か月ぶりに親父はわが家に戻ってきた。晩年にはおむつカバーを脱いで暴れたりして夜中に近所の人もブロックをまたいで裏から見に来るなどもあった。しかし、温泉病院の介護保険病棟で最期となったが、別に大ごともなく静かに逝ってくれたことだけでもせめてもの救い、と言えるだろう。
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出棺の時、好きだったレコードを持たせてやりたいと母御が語っていたので、スタッフと相談したところ、プラスチック製品は駄目とのことで持たすことが出来ず残念であったが、自宅の祭壇の左右にお供えして置いてある。これだけでもせめてやっておきたい、そう感じる。遺骨には腰痛の治療のため脊髄固定の金具とボルトが出てきたのは驚かされた。また、告別式では一眼カメラ・E-M5IIが半年ぶりに活躍したが、普段遊び目的で使っていたのが、一家の重大事という事で肩に力が入り、レジャー目的の時とは何かが違う、そう感じた次第だ。

四十九日の期間まで、レジャー目的の小旅行まがいのことも厳禁、家や車でレコードを掛けてもクラッシックなどのようなもの以外は厳禁しないとならない。もちろんゲームなども自宅・外出先共に厳禁だ。食事も肉系とかのものは控え、菜食主体になるだろう。

2018年3月23日 (金)

深夜に再び呼び出し、ついに来るべき時が・・・。

平日にもかかわらず、2回もここを更新するという事は未曾有の出来事と言える状態ですが、先ほど温泉病院に行ったところ、親父は本日01:30、お亡くなりになられました。大正15年生まれ、91歳でした。

一昨々年の初夏以降、立って歩けない状態になり、それ以降2年余り体が悪いのを鞭打って家事をセッセとこなしながら母御は懸命に老々介護を続けており、私が昨年夏、要介護申請を行った結果、要介護3の指数を与えられ、施設通所をしばらく行っていたが、昨年秋には嚥下性肺炎を起こしていることがわかり次第、即入院させ、その間医科大の高齢医学科、木島病院を経て、今年初めには医科大向かいの特別養護老人ホームに入所も決まってはいたものの、一時預け中の木島病院とその特別養護老人ホームの関係者が協議した結果、介護以外にも高齢医学に係る医療が必要とのことで、医療型介護施設である温泉病院の介護病棟に預けることで落ち着いたものの、わずか1か月余りの入所であった。

現在、野々市町の安置所に預けていただいており、粟崎町にて家族葬、という方向で調整中である。これにより先月行った特別障害者の申告も何の効力もないこととなったが、約3年間にわたる介護お疲れ様、としか言いようがありません。

年度末の大切な時に、このような事態というのは非常にしゃくではありますが、大雪の最中を免れたことだけが不幸中の幸いなのかも知れません。

午前2時過ぎ、スタッフからの指示があり、葬儀社が来るまで霊安室で待機を命じられ、午前3時近く、葬儀社が親父を引き取りに来訪し、青ナンバーのステップワゴンにて野々市町の一時安置所へと向かった。姉御は今、そこにて葬儀の段取りを行っている。私と母御は自宅待機中であり、私も3月30日までは忌引という事となろうかと思われます。直葬の形態をとるかと思われ、新聞にも載せず、学校や会社からの香典や参列はお断りさせていただく方針です。

その後、私の方も親父の預金の払い戻しやその相続・電話・家屋などの名義変更、年金関係の手続きなどがあり、忌引きの期間は休む間もない状況になるかと思われます。

これにより要介護申請の更新まで持たなかったこととなりましたが、要介護認定期間はわずか半年弱でありました。

深夜ながら急な事態という事であえて一筆させていただきました。

2018年3月22日 (木)

施設から呼び出し、帰宅途上にて

平日にここの更新を行うなど、よっぽとの事でもない限りは行わないが、本日、通勤途上にて医療型介護施設である内灘温泉病院から呼び出しがあったことが判明した。帰宅は夜7時前であり、これはいつものことであるが、ケータイを確認したところ姉御から伝言メモがあってはじめて判った。

その概要によると、親父が半危篤状態だという。そこで、急いで飯を食って夜7時20分ごろ、温泉病院に向かったのである。現地に着くと、親父の容体が夕方から急変し、意識がほとんどなく高熱が続き、呼吸も顎をパクパクしながら吐息が荒い状態が続いている。すなわち半植物状態でほぼ寝たきり状態であり、実質的に要介護5にも相当する状態であったことがわかった。

介護の人からも会える時に顔だけでも見てほしいと私宛に指示されており、急遽向かったのである。私が現場を見た状態では、確かにそのようであり、もう何時なんどき命を落としてもおかしくない状態であったことは間違いない。担当医師の話でも今すぐにという事はないかと思うが、もう91歳という高齢であることや要介護3の指数が与えられていることなどもあり、もう意識もなく呼吸だけやっと行っており、食事も点滴のみでありオムツどころか人工的な処置で機器を通じて大小便を行っている状態であり、ほぼ寝たきり状態で極めて重度の介護と医療が必要であり、実質的には要介護5と言ってもおかしくない状態だ。

こうであれば宿泊を伴うレジャーはもとより、放課後の会合とか夜勤なども断らないとならないのは当然といえよう。年度末であり、部署も一番大事な時というのにこのような状態であれば予断を許さない状態だ。

今度呼び出されるとなるともう命の危険がほぼ確実であることは間違いないであろう。もう要介護状態という事自体、もう余命が長くないと言っても過言ではないことは疑いようがないが、幼児の育児なら小学校低学年ぐらいまででほぼ目途はつくが、介護という事となるともう長くないとはいえいつまで続くかわからないのも疑いようがなく、その家族も自由に使えるお金や行動範囲を大きく狭められるものである。施設の人も何か危険な状態になれば、早朝深夜など時間帯など関係なく呼び出すことになる、との話もあり、今のところいつまで持つかはわからないが、年内にも最期を迎える可能性は極めて高いのも疑いようがない。すでに平均寿命を大きく超えており、要介護化しても何ら不思議ないといえばそうであるが、ついに来るべき時が来たと言っても過言ではなく、3年前の軽自動車への移行は極めて正解だった。やはり維持費などを削っていかないと、今後の生活も苦しいですから。

2018年3月18日 (日)

要介護者を抱えているにもかかわらずご無体な境遇

3月も半ばを過ぎ、ようやく冬の名残も薄らぎつつある。こうした中、週末には姉御が3か月ぶりに遠方に出張であり、明日深夜にならないと帰ってこない。さらに私は親父が要介護であるにもかかわらず、組合の定期大会に出ろと指示された故にやむなく昨日、午前中を母御だけ残して出る羽目となった。

姉御もいくら施設預けとはいえ、家族に要介護者がいることを理由に月1回以上の夜勤や出張・放課後の懇親会などは強固に断っては来たが、今回どうしてもという義務付けでやむなくという事となった。私なども本来なら要介護者がいるために委任状という事も強く考えたが、これ以上そうなると大会が成り立たないと言われやむなくという事となった。

母御も今や歩くのも非常につらく、それをやせ我慢して買い物とか炊事洗濯をセッセとこなしており、母御もいつ息絶えるか、親父のように要介護化するかはかない状態であり、こうであれば会合などを強固に断ることとなっても社会通念上当然ともいえる状態だ。

まあ、仕事で出張というのであればやむを得ないという同情の余地はあるが、これがレジャー目的に遠方や海外などに宿泊を伴う旅行という事であれば言語道断というのも、要介護者を家族に抱えている状況であれば社会通念上それは当然真っ当の事であることは理解できよう。

こうした中、定期大会から帰宅してすぐ、介護施設に行かないとならないこととなり、そこの料金の支払いを行ってきた。当該施設は内灘大橋を渡って、今春開校する白帆台小学校の近所であるが、自宅からは車で約15分だ。定期大会は糸田町部署で行われたが、やはり昼に終わって家まで車で1時間弱はかかる。往路は比較的朝早いので30分強で行くが、やはり休日の昼間という事で人が騒いでおり、やはり片道12キロを車で1時間前後はかかってしまう。平日であっても朝は比較的早いので30分から35分ぐらいで行くことはできるが、夕方は通勤通学ラッシュに当たり、どうしても1時間前後はかかってしまい、午後5時半帰庁であっても帰宅はどうしても夜7時近い毎日である。

それよりも自室のテレビも10年以上経過し、そろそろ電気火災などのリスクも高くなってきた。しかし現在使用中の26V型と現行の32V型を比べても、横幅はそう大きく変わらなくなってきている。こうであれば32V型にした方が得ではないか、そう思えてくる。

より以前の記事一覧