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2015年1月 3日 (土)

新年雑感

早いもので今年も3日目に突入。謹んで新春のお慶びを申し上げますとともに、本年もご愛顧のほどお願いいたします。

昔は正月3が日は慎ましく過ごすもの、という概念が非常に強かった。しかし、こういう概念は今の現役社会人世代には全く通用しないものとなってきた。

昨日など、市内中心部などの様子を伺いに、車は乗らず電車・路線バスでということになったが、正月中であり、銀行業界ではATMのシステム改変に伴う正月3が日間の休止という事態にもかかわらず、元旦や2日初売りの繁華街や郊外の商業施設などは異常なほどの引っ張り凧なのである。私が社会人になって年月も浅い30年ほど前であればこういう事態はほとんどなかったのですが、何だか不思議なんですね。

私の親御の世代であれば昔気質の気質が多く、私の親御二人もどちらかというとそういう柄ではある。しかし私共の目線では今時のものはほとんどこういうものであろう、と思う事も少なくはない。やはり、育ってきた時代がそうさせているのかも知れない。

考えてみれば私の親御などは戦前の生まれであるゆえに、物の価値観とか考え方、今の時勢であっても昔気質の貞操的・保守的なものを一生捨てられないであろう、という事は私も人生経験が長いので判らない事もない。しかし私共はかなり近代化された中に幼少期から育ってきており、今の若者の文化に対しても社会通念上は年寄りと呼ばれるような歳になったにもかかわらず、それほど抵抗は感じない。

私の部署の痴漢(性的虞犯者の意味のそれではなく、愚か者という意味でのものです)共は、今や40、50など若者だと発言する非常に知能の低い職員も存在する。まあ、それも一理ないとは言えないが、ただ、今の若者の特性や文化の影響を受けて育ってきた世代が、時の流れとともに中高年に達してきただけの事であり、私から言わせれば私が幼少・青春の時代から比べると親子間・世代間での価値観の食い違いがかなり少なくなってきたとはいえ、やはり年寄りは年寄りだ、というのが正論であり、知能の高い輩ならばそう考えるのが当然だ。その証拠ではないが、老眼や難聴が出始めたり、体力的・持久力的にも衰えが自覚されたり、あるいは成人病が多発したり、足腰などの痛みなども自覚されるようになったり、歯茎が退化して歯の隙間なども多くなって来たりというのも40歳以上になれば目立ってくるものなのだ。

あと今年は、下半期初めには10年半ぶりの新車の予定がある。次回は以前からもうるさく述べ続けてきた理由から軽自動車にすることを固く決めてはいるが、多くの輩は軽自動車は高い、普通車と値段が変わらないなどと言っているが、実際にはそうではない。昔から見れば普通車とのそれの差はかなり縮まっているのは疑いようがないが、各社とも同カテゴリ相当のものを見渡してみると、同グレード相当であれば普通車コンパクトカークラスの約9割ぐらいの値段が付けられていることも疑いようがないが、それでも普通車の価格を上回ってはいないというのが事実だ。装備的にもバックモニターは普通車ではオプションというものも少なくないが、軽自動車に関しては、一般オーナードライバー向けの標準型グレード以上はバックモニターが標準化されているものが多く目立つというのも事実だが、これは軽自動車のコアターゲットが婦人や中高年(特に高齢者)という、運転に関して腕に覚えのない人々が大半である事を配慮してこのようになったものと考えられ、これはコアターゲットの状態からも正しい方向性であるものだ。

家屋に関しても私どものような小住宅は貧乏なところだとか、軽自動車は無様な車だとかいうのは私もそう思わない事もないが、これは富裕層であるかそうでないかに関係なく、人それぞれのベスト スタイルというものがあるものなのだ。大邸宅でも住んでいそうな富裕層が家族規模その他の事情から小住宅に住んでいるとか、高級車でも乗ればいいものをと思うような上流の富裕層が運動神経が悪く普通車の感覚が判らない、あるいは高齢で老化現象が目立ってきたとかいう理由で軽自動車にあえて乗るという者もいるわけであり、こういうのは人それぞれの事情と理由があってのものであり、人がどう言おうがどう噂しようが、我が道を行くを頑なに貫けばそれでいいものなのだ。

これも私の部署の痴漢どもは軽自動車にせず普通車を薦めようとする「低能児」も存在するが、これも私がどうしてもそうせざるを得ない理由たるものがあるのである。視力や聴力、敏捷性など運動能力の低下で普通車が扱いづらくなってきたこともそうであるが、親の寿命も非常に心配というのも疑いようがなく、親二人とも亡き後は今以上に生活が格段に苦しくなる事も金銭面、余暇面からも目に見えている。それに長距離とか、主要駅やバスターミナルから近い観光施設や商業施設・レジャー施設などであれば極力新幹線や高速バスその他の手段を選択するのですし、行政もそれを今の時代、強く推奨しているというのだ。たとえ普通車と同額とかやや高価だったとしても、買った後の維持費は1000~1500ccクラスの普通車の半分強ぐらいに収まるのですし、税金や保険の面であっても今春から税金が1.5倍に上がるとはいえ、普通車よりは安いのだから、維持は今以上に楽になるのである。そういうのであればこれは非常に賢明な選択ではないのだろうか、そう思う。

私もこのような状況であっても、妻子有でしかも、まだ学校に籍を置く子供でもいるとかいうのであれば軽自動車にはせず、生活が少々苦しくなっても普通車という事も考えるが、私のこの歳からも今後そういう状況になる事はほとんどないといってもよく、私と出戻りの姉御だけというのであればメインの車は普通車である必要がない、というのも現状だ。

ちなみに生命保険も見直しの時期と同時に商品変更を行ったが、これも親の死後は死亡保険金の保障は消すか、最低限度のものに組み替える考えだ。今は親が二人ともいるのでそれは削るわけにはいかないが、親の死後はそれは全く省いて医療重視にしても構わないか、そう思う。やはり人それぞれの現状に合わせてフレキシブルに組み換えできるものは有利ですから。

今週末は今の車、最後の12ヶ月点検が待っている。これにて普通車は最後という事になる。今年前半、最後の普通車を1日1日かみしめながら乗る事になろうかと思い、チューリップフェアやあじさい祭り・花しょうぶ祭りの頃にはもう本当に生涯最後の普通車で、という事になろうかと思う。それを見込み、夏用タイヤは売却も済ませたのですし、夏用タイヤを履いての走行は次期軽自動車になってから、という事になろう。これも7月から9月の夏休み期間の初日の休暇日にハンコを押す事を考えていたが、親二人とも結構危険な状態になったこと、特に親父などは最近よくふらついて倒れるようになったことで近年中にも危なく感じたことなどから、6月半ばに時期を早めてそれを行おうという考えを固く決断したのである。

とにかく色々な面で分岐点というか、節目となりそうなこの1年である。縁起の悪い事は極力怒らないように養生したく感じるのですが・・・・。

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